踊りの仕事していた祖母。私は小さい頃から芸事に興味を持っていました。
高校に入るともちろん演劇部に入部。物語りを描き、芝居を作り、演じる事が日々の楽しみでした。

そんなある日、母のお店に歌い手さんがキャンペーンに来たのです。興味深くお話しすると『やってみたいの?…』と、暫くしてタレント養成所を紹介してくれたのです。毎週のレッスンが始まりました。

高校3年、就職か進学か決めなければいけない時が来ました。悩みながらも、とりあえず母のお店を手伝うことにしました。 〈お店はカラオケ喫茶〉
演歌を歌うお客様が多く、チョット苦痛をおぼえながらお店を手伝っていました。

ある日、通っていた養成所から東京のオーディション話し。ワクワクしながら挑戦、しかし落選。さらに名古屋のプロダクションでも落選。連続の悔しさに落ち込みました。

やがて、縁あって作詞作曲家の先生を紹介されました。しかしそこは私が苦手の演歌の事務所だったのです。仕方なく渋々演歌を学ぶ事となりました。
ある時『突然ホテルの宴会で歌ってこい』と。驚きと余りの無茶苦茶に戸惑いながら、ほぼ素人の私 は頑張って歌いました。終わると頂いたギャラに驚きました、凄い歌のアルバイトで した。
そんな仕事が続くうち、CDを出したいという欲にかられるのは当然のこと、でもそれは無理な話。 そしてそんな4年間に終止符を打ちました。

暫くして先生の紹介で作詞家里村龍一門下に入りました。やがて2000年3月念願のCDデビューが叶いました。
『新人若手演歌歌手!」 としてイベントやキャンペーン、パーティーなど忙 しい日々が続きました。そして3年後、2作目のCDも発売され、一生懸命頑張りました。

いつしか、ふと自分を見つめ直して見たいと思う様になり、ある日次への欲が膨み始めたんです。
そして里村門下から離れました。
出会ったのが作詞家坂口照幸先生でした。 そのご縁から今があります。
たくさんの方々に助けられながら25年歌ってこられました。

      

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